2017年3月28日火曜日

新しい波!

ディスレクシア関連の新しい漫画が発表されています!応援応援。

「うちの子は字が書けない 〜発達性読み書き障害の息子がいます〜」

漫画家さんの息子さんが当事者さんだそうです(読めるけど書けない・書くのが遅い系)。本業の漫画家さんによる、初のエッセイ漫画だそう。書けない系の当事者さんにはよくある…周囲の一部の大人たち(このエッセイ作者であるお母様と、2話に出る教頭先生など)が、周りの子になくてフユくんにある「???」に気づいていくようです。
杉本亜未先生のファンタジウムに続いて、素敵な作品が増えてくれましたよ!わーい!おすすめ。



…記事はこれ以下にも続きますが、私的な考えなどをあやふやな言葉で表現しているのであえて隠しておきました。読まなくても全然いいっす。





エッセイ漫画って通常なら、ものすごく自分の頭と相性悪いんです。字も絵も見ないとならず、多くのエッセイ漫画は字に情報が詰まってるので。漫画なのに疲れてしまい理解できないことが多い。でもこの作品はとてもよかった。すっきり画面で、1ページで言いたいことが済んでいて、はい次!はい次!って感じで読みやすい。

私は「漫画を描くこと」が好きな漫画好きで、読者としては読めるものがずいぶん限られています。非ディスレクシアの家族のほうが作品も数も読めてますしw 漫画にも読めないことが当たり前に起きるため、読み書きのできなさは日常で実感できます。そんな私でも読めた。私にはよい文字量でした(ディスレクシアに関する説明とかを、一字一句読まなくても理解しているから私には読めるだけかもしれませんけども…障害に関する予備知識があるから。)

・そもそも漫画は日常的な話し言葉が字になってるのがメインです。教科書的な単語の難しさはない。漫画で字を覚えれた背景はこれかも。

・英語教育面でのディスレクシアなつまづきとして「単語の習得が遅い・文脈はつかめる。内容を推測して単語を読む」などありますが、日本語にも同じように言う説明はないんですかね?私が感じる小説での難しさは、日常的な単語が少ない(日常に使う頻度の滅多にない、難しい語彙が多い)のもあると思っています。
ハイパーレクシアが「単語に強い・読解に弱い」…とディスレクシアと真逆な様子ともとれる説明を見るといろいろな場面を総合的にみて、考えたくなります。

・いまの私でもそうですが、昔から日本語であっても教科書用語・説明書系も総じて読むのが遅い(字から言葉の音も、意味を想起する能力も弱い)子でしたので、全教科何かしら遅れはあったと思います。日本語単語の読み方も曖昧だったので小説を読んでもその文が訴えたい景色が見えなくて、読み終わる前に挫折した数は多いのです。たとえ漫画やアニメ原作の小説版の話であっても、です。

・私にとって読めないことは普通で日常な感覚だから、読める人の苦労のなさ(非ディスレクシアの実態?)を理解しようとした時から、自分のつまづきのおかしさ・時間のかかり方・周囲の困惑する様子に納得できた感覚があります。学校では自分の文章の上に赤線で打ち消しが乗った状態で作文返却されたり、丸じゃない形の多い答案は少なくなかったためか、自分がよくない答案を出したことは十分わかっていました。だから私は頭が悪いしバカなんだと、当たり前に思ってましたし、人から「あなたは過小評価してるよ」と言われても「そうなのかなあ…」が多いんですよね。悪い結果を出す私を自分がよく知ってるので…実感が難しいのかも。

・↑に関しては当事者より、非ディスレクシア親御さんの心のあり方が、きつい場面と思えます。周囲の同級からバカにされて(?)も、意に介さずあっけらかんとしてる当事者を見て、なんだか切なくなってしまったりだとか…頑張っても成績が結果が出せないことで励ましのつもりがつい力が入り、叱責になってしまったり…まぁこういうのは物事うまくいかなければ誰でも葛藤ぐらいしますし、別に悪いことではないと思うし。私は、非ディスレクシアと同じ程度の学びの質?とか機会を、今後の学校では与えて欲しい派なのでね。教職の方の知恵も経験も力も借りたいですし、励ましたいですし。当事者の心の問題はあんまり気にならない気がする…大人の目線が変われば勝手に伸びると思ってますよ。身近な大人の力で育つタイプだと思いますし、頑張らないといけないことは変わらないし。猛烈な頑張りが必要な今よりは、軽減する未来がいいなと思っていろいろ書いてます。


・小学校一年で、字の読み方を教える時間があったのかは謎なのです。読めるようにする指導は学校としてなかった気がします(担任が悪いとかの次元の話ではありません)。いまの学校は読める子だけが通えてるんじゃないかなと。一年生から教科書がっつり使わせるから、読めないという可能性がもともとないのかなーと思うことも、自分のディスレクシアを知るにつれ考えるようになった。

・基礎が大事大事というのは、よく聞く文言ですけれど、そもそもディスレクシアにとっての基礎部分は日常の言葉使い??と自分には思えてます。(ごめんなさい、うまく言えません…)「字のが応用分野」に思える。周囲の大人の言葉を、耳で聞いて覚えてる気がしているし、だから親が子供のことをバカ者として当たり前のように説明する様子に出くわすと「その当事者は家族の言葉使いから言葉を知っていくことが十分あると思うけど…大丈夫なんだろうか…」と勝手に不安になったりします…。

・文面でいう基礎が、字にはない体感もある気がしています。

・私は学校に上がる前からずっとテレビっ子です。アニメはずっと見てたようですし、子供の頃クイズ番組多かったので(クイズダービーとか頭脳パワーとか)兄弟でいろんな番組をよく見ていました。言葉遣いはテレビから聞く綺麗な言葉の形のおかげで、きちんと覚えることができたのかもしれませんね。私は方言のある地方で育っていますが、ネットの文章などはできる限り標準語になるように打ちます。方言と気づかず打つ言葉もありますけどね。私の文章に散見する「ら抜き言葉」はうちの方言では日常なので、直すことが重要には思えませんし、そのまま使っています。

・方言話をしている時に「どう標準語を覚えるの?」とか、過去職場で「どう敬語を覚えたの?」…と聞かれたことがあったんですが、確かに「なんでだ?」とは思います。自分としてはきちんと言葉遣いの訓練をした人たちを通した媒体(テレビラジオ雑誌書籍など)が関係するのかな〜と思ったので上記にも書いておきましたが。

私は一般的成長で味わう流れ(大学とか就職活動とかバイトとか)がなくて…高校中退したら自宅にいてクリニックと障害者作業所通所をする生活を経て、20代後半でパン屋バイトした程度ですし。高校時にゆうメイトはしましたけど、ビジネスマナーをきちんと学んだ機会ってないです。もともと学ぶ機会はないものですかね?働くうちに覚えろというものだったりするのかしら。





……雑多にあげたらキリがなくなってきたので、この辺でやめときます。
かなりとりとめがない記事になってしまいました。まぁ個人のブログなので、ご容赦ください。

0 件のコメント:

コメントを投稿